イントロダクション

アトミックマムは原爆について非常に異なった経験を持つ二人の女性についてのドキュメンタリー映画である。二人の女性のうち一人は私の母親、ポウリーン・シルビア。1950年代前半に海軍の生物学者としてネバダの原子爆弾試験場で爆発を5回目撃した経験がある。何十年もの沈黙の後、ポウリーンは当時の自分の仕事について良心の呵責に苛まれている。もう一人の女性は8歳の時広島で被爆を体験した岡田恵美子。ポウリーンが原爆開発に携わった事実を知りつつも、恵美子はポウリーンに友情の手を差し伸べる。

ストーリー


『アトミックマム』は原爆によって人生を左右された母親である二人の女性の姿を描いたドキュメンタリー映 画である。一人は第二次世界大戦後の核兵器開発に携わった科学者。もう一人は核兵器の被害 者で広島で被爆体験をした女性である。
カリフォルニア州バークレーで広島の「原爆の日」に紙灯篭を海に流す人々を見ながら、映画監 督のM.T.シルビアは自身の幼少時代を思い浮かべる。彼女の子供の頃、近所には国家機密関与という 大それた資格を持つ母親など誰一人としていなかった。「私は冷戦の時代に育ちました。子供の頃、 母はジェームス・ボンドの映画に出てくるような仕事をしているのだと思っていました。」映画のナ レーションの中でM.T.はそう語る。しかし、そのような母を持つ子供にとって、他人に母の仕事を自慢 することは許されなかった。軍の機密を絶対厳守することは、他の大小の秘密と共にシルビア一家 の上にどんよりとした雲のように絶えず覆い被さり続けた。しかし、母、ポウリーンが胸にしまい込んだ秘密は50年 の歳月と、サンフランシスコのハイウェイ101を走行中に遭遇した偶然によって明かされることになる。ポウ リーンは79歳にして初めて映画監督である娘、M.T.シルビアに、科学者としての自分の過去-20世紀中で最も洗練された、影響力と破壊力を持つ科学技術の開発に係わった自分の過去-を打ち明けることにしたのである。

1930年代から1950年代、過去に遡ると、ポウリーンが過ごした当時のロードアイランド州ニュ- ポートの豊かで生き生きとした情景がホームビデオや広告から見えてくる。 主婦たちはカクテルのレシピを交換し、「現代的」な電化製品を買いに走る。音楽は活気に満ち、 明るい時代だった。「超大国」アメリカからは自信と楽観主義が溢れ出ていた。教育映画は原 子力を私たちの味方かのように宣伝し、原子力開発においてロシアの遅れをとることは国家の安全と威厳にかけて許され ることではなかった。このような時代にポウリーン・シルビアは彼女の人生を歩みだした。熱 心な科学専攻の学生であった彼女はアメリカ海軍の医療研究チームの一員となり、若い海 軍少尉として故郷から何千マイルも離れたサンフランシスコの放射線学防衛研究所に派遣される。 その後、彼女は1953年に実行された5回にわたる屋外爆発-アップショットノットホール作戦-に 科学者の一人として参加するため、ネバダの試験場へと赴くことになる。

ニュ-イングランド訛りで喋る、白い手袋をはめた白髪のポウリーン・シルビアは、貫禄のある 老婦人といった趣だが、その一見伝統的で大人しい容貌の下には、アメリカの謎に包まれた兵器開発 の歴史に関わった過去が隠されている。アメリカが内密裏に行なった原子力実験プログラムの詳細の大部分 は未だに明らかにされておらず、また当時、様々なグループが多様な研究を行っていたが、その情報も 公開されてはいない。ポウリ-ンはM.T.に昔の海軍の記録を見せながら、「全てが細かく分類され ていた」と語る。映画の撮影が進む中、ポウリ-ンは体力も気力も共に衰えていき、かつて自分 がした仕事の責任について悩み、苦しむようになる。彼女は自分が育てたネズミを爆心地から特定 の距離に置き、爆破した後で生き残ったネズミを、それが命果てるまで研究したことを告白する。中でも、 彼女を最も苦しめたのは、熱傷研究のために犬を使って実験したことであった。ポウリーンが 自分の経験を告白したことによって、ユタ州セイントジョージでの惨事、太平洋ロンゲラップ環礁 の水爆実験での被爆など、アメリカの暗黒の原子力実験の歴史に関わった人間の悲哀が 今、明らかになる。

太平洋を隔てた日本では、原爆が投下された時、岡田恵美子は広島の8歳の少女であり、彼女の 12歳の姉は二度と戻って来ることはなかった。恵美子は現在は平和活動をしている身だが、今でも原爆によっ て自分の家族が体験しなければならなかったことを話す時には胸が詰まる。しかし、遂に彼女は自身の痛 々しい被爆体験を告白し、広島の人々とあらゆる物が焼け焦げ同然となった日の記憶を生々しく語る ようになる。

岡田恵美子も、ポウリーンが国家機密を厳格に守ろうとしたように、長い年月、忘れられない自身の悲惨な 経験を娘である幸恵に話すことを避けてきた。恵美子はまるで、その経験を口にしないこ とで、それが、あたかも存在しなかったかのように振るまおうとしていた。娘の幸恵は、結婚して間もなく、 自分が子供を産めない体であることを知る。その知らせは母である恵美子にとって苦痛以外の何もの でもなかった。被爆者である自分が娘の不妊の原因であると思い、恵美子は罪の意識に苛まれる。

そして、遂には、恵美子とポウリーン、それぞれに機が訪れる。ポウリーンは自分がした仕事 について感じたこと、後悔、尊厳、そして人間的な感情を長年の沈黙を破って告白することによって慈愛心 を感じ、恵美子は亡き姉を偲んで、平和活動家として軍縮の必要性を各地で講演して いくようになる。

恵美子はM.T.を広島の平和記念公園の中で彼女の一番気に入っている場所、緑の生い茂った 円形の土盛りの上にある氏名の判明しない遺骨が納められている原爆供養塔に案内する。恵美子は 自分の姉もここに埋められていると信じており、供物を供えに頻繁に訪れているのだ。彼女は供養塔の前で ポウリーンとM.T.のことを亡き姉に報告する。そして、爆心地に恵美子とM.T.が並んで立つ。恵美子はこの場所 でアメリカ人と手をつないでいることを和解の証しとして切実に喜んだ。、M.T.は恵美子に年老いた母か ら預かった手紙を渡す。恵美子はそのお返しに友情の印としてポウリーンに折り鶴を贈り、それを M.T.に託す。

『アトミックマム』は、争いによって引き裂かれている世界に望みを託している。人生が想像を超えるほ どに変えられてしまった二人の女性が、疑心と怒りを抜き去り、心を開くことで和解へと到ったという事 実が私たちにより良い未来への希望を与えてくれる。